企画書。
会社に勤めていようと、フリーだろうと、何か企画や提案をクライアントや上司にする際に交わすものです。
コレコレ、こういう企画はいかがでしょうか。
これをした後に、アレをしてその後は…。
クライアントの方や上司に、「こんな企画をこんな予定でやります」という、いわばある種の取り決め、約束事とも取ることができます。
ビジネスでお金が発生するわけですから、お客さんや上司に「こうします」とお伝えするのは、当然と言えば当然です。
ただ、この企画書、場合によっては人に喜んでいただくためのクリエイティビティを、時に潰してしまうこともあるのではないかと感じています。
当方は、フリーランスや小規模企業さまのプロモーションムービーを主に撮影しています。
もちろん、クライアントの方に「こういった方向性で撮影するのはいかがでしょうか?」という提案を事前に行います。
ただ、実際にロケハンや撮影に行くと、
「こんなことが浮かんだ、あんなストーリーが浮かんだ」
なんて、「企画書ではなかった予定外のイマジネーションや企画」がわき立つこともあるのです。
結果、ねりに練って考えてクライアントさまに提案し撮影したものよりも、自分が細かいことは考えずに撮影したものの方が、依頼者さまから良い評価をいただけた。
撮影の仕事の中では、こういったこともあります。
ねりに練って企画書を作った撮影 < 自分のインスピレーションで撮影した企画書なしの撮影
こんな図式になることも。
自分のインスピレーションは、自分の中にある曖昧なものですから、企画書などに落とし込むことはもちろん、言語化もするのは難しいでしょう。
でも、それが企画書を凌駕した。
ともなれば、「企画書を細かに書くことで、クリエイティビティがなくなってしまうこともある」ということも言えなくもないのかなと。
「コレコレこうしていく」と予定を立てたり決めたりすることも、もちろん大事なことだと思います。
ただ、実際の現場では、言葉にはできない美しさやカッコよさ、感動など、「企画書には落とし込めない要素」が存在します。
何かを行う前にガチガチに決めるよりも、チャレンジしてみて、一緒に考えて、一緒に「こういうのはどうですか?」とコミュニケーションをとりながら働く。
どんな仕事でも、こういった働き方、作り方が、これからの時代、さらに大事になっていくのではないかなと考えています。
場合によっては、企画書ももちろん大事なものにはなりますが、ある程度柔軟なものである必要があるのかなと感じました。