プロとアマの差が少なくなった現在、大切になってくることは?
2020.5.28 日々思ふこと

プロとアマの差が少なくなった現在、大切になってくることは?

こんにちは、ブラウニーフィルムです。

あらゆる世界で、「わかりやすいプロとアマの差」がなくなってきている。

そんな風に感じています。

写真や映像の世界であれば、機材の発達やノウハウの民主化できれいな映像が取りやすくなった。

ファッションで言えば、これもまたおしゃれの基礎的なノウハウが溢れ、ユニクロなど気軽でおしゃれに見える洋服が増えて、誰でもおしゃれを楽しめるようになりました。

お料理でいえば、今や検索しようと思えばプロが使っている食材や調理道具、調理のコツなどが、私たちでも再現できてしまう。

ミュージシャンだって、プロの方はやっぱり巧いけど、アマがそうでないかと言えばそんなことはなく、カッコイイバンドやシンガーはたくさんいます。

もちろん、プロとアマの差は依然としてあるには変わりありませんが、昔ほど明確な区別はなくなったような気がします。

それに、誰かと同じようなことをする方も増え、何をするにもレッドオーシャンという気もするのです。

そんなあらゆるものが溢れた時代、どんな風に活動していったらいいのでしょうか。

 

 

 

これから仕事を続けていくために大切なことは?

これはあくまでも自分の意見なので、誰かを説得させよう、論破しようなどとは思っていません。

「こんな意見もあるんだな、ふーん…」という程度にお読みいただけたら幸いです。

 

私自身は、これからの時代に大切になってくる要素というのは、

・自分のオリジナリティをブレずに追求していける方

・社会的意義のある活動や、「僕はこうしていきたい」という何がしかの熱い情熱や思いがある方

だと予想しています。

 

まず、自分のオリジナリティを余すことなく伝えられる人は強いのかなと感じます。

今の時代は、情報が民主化されたために、どうしても多くの方が同じような情報にリーチします。

そうなってくると何かを学ぶにも、多くの方が同じ情報にリーチし同じ方向を向く。

結果、同じような発信をする方が増え、同じようなサービスが増えていき、価格競争、レッドオーシャン化してくる。

それに、皆同じように見えるから、選ばれにくくなる。

色々な情報にリーチできる便利な時代だからこそ、こういったこともあるのかなと。

本来は、皆一緒なんてことはなく、一人一人が持っている感性や適性があるはずです。

周りと同じようなことをやるよりは、「自分だったらどうするか」という掘り下げをしていく。

絶対的な正解なんてそうそうありませんし、「君はこうやるかもしれないけど、自分はこうやるよ」という軸を持てる方。

こんな思考も、これからの時代は必要なのではないでしょうか。

 

また、社会的意義のある活動について。

もちろん、どんな仕事だって尊いことだし、社会的意義があると思います。

あらゆる仕事は、どこかで誰かが喜んでくれていますから。

ただ、テレワークだとか、AIの普及によって、「わざわざ人が苦労してやることはないよね」という仕事も増えてきたような気がするのです。

これは私の「こうなってほしい」という希望ですが、人がやらなくていい仕事が増えて時間ができ、その時間で好きなことへの追求や、「自分は世界をこうしていきたい」という活動で世界が回っていく。

そんな時代が来ればいいなと感じています。

それこそが「多様性」なのではないでしょうか。

君はこう生きるだろうけど、僕はこう生きる。でも、どっちもアリだよねっていう。

それに、「コレコレはこういう問題があるから、こうしていきたいんだ!」という熱い思いに、人は惹かれていくと思うのです。

もちろん取ってつけたような思いではなく、自分が心の底から思っている「こうしたい、この問題を解決したい!」という本物の感情が大切なのかなと。

 

今日は、これからの時代に何がしかの活動するにおいて、私が大切だなと感じることについてお話しさせていただきました。

自分の主観タップリかつ希望が入った意見なので、「いや、自分はこう思う」なんて180度異なる意見があってもいいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

 

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